適度に忙しいほうが時間を大切に使える

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僕自身経験があるんだけれど、何年もひきこもったあと、それなりにマシな生活ができるようになってくると、「なんで自分はあの膨大な時間を無為に過ごしたんだろう」って後悔の念が襲ってきたりします。

それはもう取り返しがつかないことなのであんまりくよくよ悩みすぎても良くないのですが、やっぱり時間というのは一人の人間にとって限られたものなので、できればそれなりに後悔がないように過ごしたいものです。できれば死ぬ直前に後悔しない程度に。

 

で、さっきぼーっとしてる時思ったのが、ある程度義務的にやらなきゃいけないことがあって、それに時間を拘束されてる時のほうが時間を大切にできるなということです。学校や会社に所属して、1日のうち何時間かをそこで過ごしていたりするほうが、「ああ、だいたい平日に家に帰ってから自由に使える時間はX時間ぐらいかな」とか思って「今週は試験も近いししっかり勉強をしよう」とか「今日は遊びたいからこないだ買ったゲームをがっつりしよう」とか計画を立てるのが上手くなるような気がします。そういう生活だと、だいたい社会的にしなきゃいけないこととされてることも最低限できてるので、余った時間を遊びとかに使っても後悔がなかったりします。

 

それが、ひきこもりで24時間自分の自由な時間になると、よっぽど時間管理の上手い人じゃないと、起きてる時間の大半を後から振り返ってみたら後悔してしまうような使い方や、実質的にほぼ何もしないのと変わらないような使い方をしてしまうことが多い気がします。精神科医斎藤環先生がどこかで、ひきこもり状態にある人は家でゲームやネットばかりしてるイメージがあるけれど実際には座ったり立ったり意味のないことをして何もしていないことが多い。(うろ覚え)というようなことを書いておられて、ちょっと納得した記憶があります。ひきこもり状態って後ろめたさみたいなものを感じてることが多くて、そういう状態だとゲームとかは純粋に楽しめなくてあんまりできなかったりするし、ネットでも本当に無意味なブラウジングを延々と続けて気がついたら1日が終わってしまっていたりします。

 

だからもし、自分が日々ありあまる時間をドブに捨てているように感じている人は、思い切って時間の一部を「強制的に何かをしなければいけない時間」にあててみるというのは一つの手だと思います。働くことが怖くない人ならバイトとか、精神障害持ちの人なら負担が少なめの作業所に通うとか、体を鍛えたくて少しお金があるならプールやジムに週何日か2,3時間ずつ通うとか、勉強したくてお金がある人なら受験予備校や資格予備校に通うとか(最後のはお金がそこそこいるでしょうが)何か一週間の中で何日かルーチン的にあえて時間を奪われてみるのです。そしたらバイト代がもらえたり人と知り合えたり心身が鍛えられたりするし、それ以外の時間の貴重さが増して、後ろめたさも減って、きっと全体的に生活の満足度が上がるのではないでしょうか。

 

人間というのは難儀なもので、自由すぎるとだいたいダメになる生き物だと僕は考えています。でも逆に制約を課すと、その中で色々工夫してかえって制約がないときより自由に行動や思考できたりするようになったりするから面白いなとも思ったりします。

 

かくいう僕も、通信制の大学は続けつつ、来月から作業所の見学に行ったり、家の農作業の手伝いなどをしてちょっぴり自由な時間をいじめてやるつもりでいます(笑) もちろん負担が大きすぎたら減らしますが、それによってどういう変化が生じるかちょっと楽しみにしてもいます。ではこの記事はこの辺で。