多分ゴイサギ、丸っこかった
一週間ぐらい前正座から立ち上がろうとしたら腰に変な痛みが走ったと思ったらたちまち痛みが大きくなって、横になって動けなくなりなんとか家にあったケトプロフェンテープを貼って横になった頃に、これはぎっくり腰なのかなと思うに至った。自覚まで時間がかかったのが間抜けな感じ。
その後2日ぐらいほとんど動けなくてなんとかお手洗いだけ行くような感じで、それから少しマシになってきたものの一昨昨日ぐらいに油断して第二撃を喰らった。癖になりたくない……。
話は変わるけど山奥ニートをやってた石井あらたさんが奥様とお子さんと一緒に山を降りて別のところで生活を始めているらしい。「こうなると思った」みたいなやや冷ややかな反応をもあるみたいだけどきっと山でゆっくり暮らすことは石井さんにとって必要な時間だったんじゃないかと勝手に思っている。
何年か前からphaさんがシェアハウスをやめた時にも話題になっていた。人は変わるものだしお二人の変化は悪いものではないだろう。
だけどちょっと思ったのがこう、ゼロ年代ぐらいのインターネットの空気って人を「あまりお金がなくても、つまりあまり働かなくても結構なんとかなるのでは」と思わせる力があったのではなかろうかと。
最近今のニコニコ代表のくりたしげたかさんがこんなことをツイートしてた
ニコニコがもっと早い時期に収益化のシステムを上手く取り入れていれば、というのに対するお返事。
今となってはそんなそんなと思われそうだけどれど、昔のインターネットってお金を使おうとしても使うところがあんまりなかった。物販のネット通販も今よりはかなり貧弱でZOZOTOWNもなかったしAmazonも主に扱ってたのは本とかCDとかDVDとかゲームソフトとかであんまり日用品とか買わなかったし、コンテンツ販売も不便な割りに品揃えも使い勝手もさほど良くなくて、それを補完するように(ダメなんだけど)海賊版コンテンツへのアクセスが容易だった。先のニコニコに関しては「振り込めない詐欺」なんてタグがあったりプレミアムアカウント導入の際も結構批判してた人がいたんだけど今考えると月額550円のフリーミアムって結構良心的なんだけど。
でもなんかこう、PCとインターネットアクセスさえあればそれ以上はあまりお金を出さなくてもなんかずっとゆるく遊んでいられそうな感覚があったのだ、あの頃は。
phaさんや石井あらたさんがあまりお金を使わずに生きる方向でやってみようとしたのはその頃のネットの空気を吸っていたというのがあるのではないかと私は少し思ってる。
その後はテクノロジー大手やその他大資本が普通にネットに展開してきて、ネットも普通に「何かが欲しいならお金払ってね」という世界になった。ちょっと共産主義っぽい言い方するとインターネットも資本主義に取り込まれた。でもその代わりに便利でそこそこ安全にもなったわけで。
あとまあネットのボリュームゾーンの人口が若かったのもあると思うけど、20代前半までぐらいって金全然ないけどなんとかなる感じみたいなのちょっとあるし。年取ると金勘定しがち。
こういう昔話したって何か変わるわけじゃないけど、あの頃のネットの端っこで見てたやつの感想とでも思って欲しい、かな。