「原因がある」と「道義的に悪」を混同してること多くない?

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ファミマのウマ娘コラボはちみードリンク飲みたいけどなかなか見かけない

以下本題

 

例えばいじめ問題とかに顕著だと思うんですけど、「いじめられる方が悪い」と「いじめられる方に(も)原因がある」というのは全く異なる見解だと私は思うのです。「いじめられる子にも原因はある」で非難される理由が私にはあまり分からない。

 

「そりゃ原因はあるんだろう、でも悪くない」

 

何故ならばいじめなんかはヒトという猿の関係モデルとして捉えるべきでしょとたまに思っていて、

極端な例を出すと「筋肉隆々で普段から鞄に刃物や時には拳銃を持っている後先考えずキレやすい男子」なんてのがいたらその人いじめる奴いると思います? 私は思いません。いじめる側になりそうな個体やいじめられる側になりそうな個体ってありますよね、個体じゃなくて属性レベルで見てもいいんですけど、それを否定したってしょうがないじゃないですか。でもいじめられそうな個体だからっていじめていいってことにはなってないんです、少なくとも今の日本では。だから加害者の方に抑制を促すんですよね。当たり前のことですけど。

 

道義的にどうとかも大事な場合はありますが、物事を解決したい場合は事実を善悪ではなくできるだけ事実そのままで捉えて解決策や抑制策を模索した方が良い場合ってありますよ。そうじゃないケースもありますけど。

 

人間が絡むとそういう混同が多いのかな、機械とかだと原因切り分けて特定して解決方法探るのは当たり前のことだし。人の気持ちは大事だけどそれだけで世界は動いてないしなーとか。