いち障害者が思う、地方の公共交通機関の存在意義

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JR北海道JR四国の経営状況が相当に悪いようです。
新型コロナの影響が顕著なのは確かですが、この2社は元から赤字経営。この記事に限らずネットの声を検索してみるとその存在意義を前々から疑問視する人は少なくなかったように感じてます。

 

私は四国・香川県に住んでいる精神障害者です。病気やそれに伴う経済的都合により普通自動車免許も持っておらず、自家用車も保有しておりません。中長距離の移動にはJR四国を利用・介することが多いです。
それで実感しているのは、地方、もっと言うと田舎の電車バス等の公共交通機関を利用しているのははっきり言えば何らかの理由でマイカーを利用できない層が主だということです。データを出せなくて私の体感で申し上げてあれなのですが。
高齢で運転が難しくなった方・高校生以下の若年層・経済的に自動車が購入維持できない人・そして障害者など、こういう人たちの貴重な足が地方の鉄道・バスなんだと思います。つまり電車バスが配線になって足を失うのはそういう人たちなのです。

 

またもう少し言ってしまうと、地方の交通弱者というのは社会的弱者と非常に重なっています。
高齢の方の運転の危険性は近年よく喧伝されてますし、障害者のそれも同じでしょう。私は統合失調症と診断されています。もし免許を取るとなればそのことは隠さないとまず取得できません。てんかん等も同じと聞きます。
免許の更新で持病はないですかと問われても嘘をつかないといけません。言い方は悪いですがそこでバカ正直に病気ですと言ってしまって免許を停止される人もいるようです。
また隠して運転して大きな事故でも起こしたら大変です。他損による任意保険がちゃんと出るかどうかもわかりませんし死亡事故にでもなったら「障害者なんかに運転させるな! 事故や犯罪を起こしても無罪になるような連中だ」というような声をネットで目にしたのは一度や二度では済みません。
そんな言葉が飛び交うところを見る私も良くはないと思いますが。
確かに運転に向いてない障害者や高齢の方などは多い、では我々はどうやって移動の必要に対応すればいいのでしょうか? 公共交通機関がなくなれば数十kmの道のりを自転車で往復しないといけないのでしょうか。

 

もちろん、JR2社をはじめ諸々の交通機関も資本主義上の営利団体であるので、採算を度外視してインフラに徹するというわけにいかないというのも解ります。
ですが今後も高齢化による交通弱者の増加が見込まれる本邦で交通機関を資本主義の論理だけで判断してもいいものでしょうか。
自動運転や高度なMaaSなどによる解決ができれば一番でしょうがすぐにできるものではないでしょう。いずれ地方公共交通機関がその役割を終えることになっても、その時まで何らかの形で利用可能な移動手段が存在していてくれることを願いたいものです。