刺激を受けない時間の必要性

私に限る話かもしれませんが、最近、何もせずに無為に時間を潰してることがあまりなくなってはいないかな、とか思ったりします。

「いやお前ニートじゃん。毎日を無為に過ごしてるじゃん」

とのご指摘はあると思いますが、ちょっと違って、現代って人間は刺激を受け続けている。Input/Outputで表すと、ひっきりなしにインプットしている状態なんじゃないかなーとか思ったりしました。

今でも流行ってるのかどうかは知りませんが、何年か前から「デジタルデトックス」とか「断ネット」のようなワードが書籍などで目につくようになりました。インターネットの普及によって人が受け取る情報量が飛躍的に増えたので、なるほど頷けるところはあります。でもそういう人や本って結構、ネットをやめたり減らしたりしたあとの時間的思考的空白を、紙の本とかのやや情報量が少ない別の刺激で埋めちゃおうみたいな話に持っていくことが割とある気がします。

確かに書籍はインターネットほどは有害物質が多くなく、質のいいメディアかもしれません。が、私が今回考えたいのはそもそもインプット自体をできる限り減らす時間を作ることなのです。

よく、良いアウトプットをするためには良いインプットが必要だとか言ってる人がいますが、私はこれに対して「本当かなぁ?」とやや懐疑的でした。

私の個人的な感覚ではどちらかというと「良質かどうかはともかく、アウトプットをする時には一旦インプットを止めて自分をブランクな状態にしたほうがいい」という感じです。

現代は、コンテンツ過剰な時代だと考えます。古いメディアでは、新聞・書籍・雑誌・ラジオなどがあり、新しいメディアにはご存知の通りネットを中心としてゲームや動画があり、その中間にまだまだ強いテレビがあり。というふうに私を含めて今の人間はメディアからの入力に振り回されすぎではないでしょうか。

メディアを消費できるのは一つの豊かさであるし、メリットもあると思います。ですが、我々は時々それをシャットアウトしたほうがいいのでは? と思います。私の頭の回転が遅いせいかもしれませんが、入力ばかりしてはそちらの処理にリソースを割いてしまって頭が動かなくなってしまう気がするのです。

だから、PCやスマホの電源を切ったりするネット休憩はもちろん、旧来からの活字や例えば音楽やラジオなどからのインプットも一時的に停止して、ぼーっとしたり考えたり、あるいは勉強したりちょっと自分の中から出てくるものを買いたり(描いたり)する時間を作るとより豊かに過ごせるんじゃないかなぁ、とか思ったのがこのエントリを書こうと思ったきっかけでした。

私の場合は何もせずにぼーっと座っていたりすると、独り言が増えたり、手元のノートに適当なことを書いたりし始めることが多いです。これが割と楽しい時間です。自分の中から何かが(そう大したものじゃないだろうけど)湧いてくるような感じ。こういう時間を時々確保しながら生きていきたいなと思ったので、メモ代わりの意味もかねてブログに書いておこうと思いました。乱文失礼。ではでは。