徹底したミニマリストとゴミ屋敷の主って実はそんなに変わらないんじゃないかって

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思ったり。

気力がないけどなんか適当に活字の本を読みたいときは、Kindle PWでセールで買ったpha氏の本を読んでることが結構多いのですが、氏の「持たない幸福論」の中で、自分なりに要約すると「人はその時の自分のエネルギー量に応じた世界作りをして楽しんでいる」という部分を読んで、で、その例としてゴミ屋敷の話が出てたんだけど、ゴミ屋敷の主って、数年前からぼちぼち流行ってるミニマリストチョムスキーのほうではない)とは真逆の存在として語られますよね。とことん物を持たない人。

 

でもそういう人ってネットとかで「わたしの片付いた物の少ない部屋」とかを積極的に公開してたりして、それって、ゴミを集めて楽しんでいるゴミ屋敷の主と、真逆だけど楽しみ方は同じ(うまく言えないけど)なんじゃないかなあと。自分の部屋や家をいじって楽しんでるという点では同じかなって。

 

誤解してほしくないんですけど、ぼくはミニマリスト批判がしたいわけじゃなくて、むしろ物を無駄に増やしたりするよりは物や使用するエネルギーを減らしたほうが環境とか自分のお財布に優しいから全然アリだと思います。ありとあらゆるものをアウトソーシングしてお金に糸目をつけずにかばん1つで暮らしてるみたいなリッチなタイプはちょっと共感はできないけど。(でもそういう選択肢を否定したくもない)

 

ぼくの例だけど、最近、ゲームに夢中になれることが減って、その理由の1つとして、自分はあんまり体力がないけど、それでもまだ世間で言う働き盛りぐらいの年齢だから、深層心理とかではゲームじゃなくて現実を遊び場にしたいのかなぁ。とか思ったりします。色々そのためにはスキルとか体力とか足らなかったりしますけど。

 

まあほぼ本の内容になっちゃうんだけど、人間ってその時に心が赴く大きさの箱庭で遊ぶことで満足感を得て生きていく生き物なのかなあとか思ったりします。勿論自分自身を突き詰めたりするのもあるのですが、それも自分という生き物って箱で遊んでる気がするし。

 

結局何が言いたいんでしょうね。いつも通りよくわからないエントリでした。