マイノリティは優秀でなければ許されないのか?

 

別にセクシャルマイノリティに限った話ではないけれど、そういう風潮はある、気がする。

一部のセクシャルマイノリティ、というかMale To Femaleは時として就職・就労で壁にぶち当たる。私が個人的に最近気にしてるのは髪型のことで、おそらく今の髪の長さ(あと色)で採用の際に制限されたりマイナスの評価を下される職場は多いであろう。ただでさえ職歴が皆無の中年の身にこれはかなり辛い。

 

私ほど状況が悪くなくとも、髪型などの容姿の面で就労に苦労しているMtFは少なくないらしい。ネットで検索するといくつかそういう相談などが出てくる。そういうところで正論とされるのが「人束いくらで買われるような人材ではなく、何か高い職能を身に付けて仕事を探せ」というものが多い。
私もそれは実際問題正しいとは思う。有能であればあるほどその他のことは目を瞑られる。それが現実だ。

 

けれど私は少し疑問を抱かざるを得ない。それが過ぎたお花畑的思考であったとしても。マイノリティであることは罪なのか? ハイディキャップであるべきなのか? スティグマなのだろうか?
私は倫理学などは全然わからないが、別に変わった属性を持っていてもそれは罪ではないはずだ。たぶん。それなのに、なぜそれが重荷にならなければならないのか?

 

だが、現実として重荷に、手かせ足かせになることがわからないとは言わない。例えば文学などではマイノリティの苦悩が往々にして描かれるものであるし、現実にも少数移民や差別を受けてきたコミュニティの親などは子供に対して我々は平均より優秀でならねばならないと厳しくあたることも多いらしいと聞く。それが生きていくための戦略なのだろう。

 

マイノリティの種々の属性が基本的にマイナスの評価を与えられてはいけないというのは理想論なんだと思う。基本的に組織をいうのは変わった属性・個性を好まない。そういう社会や組織がちょっとやそっとで変わるとは私も思わない。現実で生きるなら現実からは逃げられい。けれど理想であれ、空虚な理想論であれども、私はそれを絶対的に正しいとは思いたくないのだ。