タイトルに精神障害者って書いたけど、より多くのマイノリティについて言えることかもしれません。
僕はよくTwitterで「三十路中卒職歴なしニート精神障害者セクシャルマイノリティです!」みたいなこと言ってるんだけど、ニートも精神障害者もセクマイも、何がマジョリティの人と一番違うって、そりゃ違うからマイノリティなんだけど、普通のライフプランが非常に通用しにくい、適用しづらいんですよね。
ネット民自体結構高齢化してきて、就活しんどい(これはまだ若いし比較的多分クリアしやすい)とか、結婚したいとかすべきかとか、子供つくるべきかどうかとか、家買うべきかどうするべきかとか、そういうことって僕みたいな人間にはなんていうか別の星で起こってる出来事みたいに感じるし、多分僕ほどじゃなくても(あるいは僕以上に)「自分とは関係ないことだなぁ……」って感じてる人っていると思うんですよね。
そもそも土俵に立てないって言うのかな。
まぁある意味気楽な部分も結構あるんですけどね。大変そうだし。
例えば僕の恋愛・結婚について言えば、そもそも住める場所からしてほとんど選択肢がないし。経済力がないから結婚できないだろうし、性自認ブレブレだから恋愛とかもキツいし、精神障害だから仮に好きになってくれる人いても迷惑かけちゃうから付き合わないほうがいいし、まぁ実際相手もいないんですけど。あと結構一人が好きだから別に苦でないんで……という。
前述しましたけど、かといって普通に扱ってほしいわけではないんですよ、少なくとも僕個人は、だって大変そうじゃん、普通の人みたいなことするの。
ただ、なんていうか、(元)ニートとか精神障害者とかセクマイとかで頑張ってるのにライフプランとかロールモデルっていうの? それが「福祉とかに頼って細々と生きる」か「圧倒的才能や努力でねじ伏せながら生きる」の2つぐらいしかない気がして、当たり前だけどほとんどの人は前者で、それってどうなんだろうって思ったりして。
まぁこんなことを書いておいてなんだけど、そんなライフプランとかロールモデルとか全然無視して各々好きなように生きるのが生き方の多様性なのかもしれないけど、じゃあライフプランとかってなんなんという……。
ああ、結論出せてないエントリになっちゃったなぁ。相変わらずまとまりのない文章でごめんなさい。